シーグラスになろう

推しが昨日誕生日を迎えたのではてブロを開設した。

(風が吹けば桶屋~レベルで因果の薄い関係)

 

 

 

 2年。

昨日は奇しくも、私がこの界隈に足を踏み入れてから2年目の記念(?)日だった。友人宅で開かれた某舞台のDVD鑑賞会に参加し、ハマり、その勢いで作った、今はもうあまり稼働していないツイッターのアカウントが唐突にそれを知らせてくれた。かつ、1年前に読んで甚く感動したはてブロに、突然再会した。あの後どれだけ探しても見つからなかったのに。

例え因果がどれだけ薄かろうと、それらをこじつけ「運命」と呼ぶのがオタクの得意技である。故に、思い立ち、アカウントだけ作ってあったここに、記事を投稿した。

 

この2年のROM生活での出来事をアウトプットする場所が出来た事が、ただ単純に、うれしい。これまで、孤独な生活を送っていた訳では決して無いが、自身の本当のおもいを声に出す機会もまた無かった。

 

相手に伝えたいことは、ありがたい事に今の所全て手紙で伝えられているので、此処は「伝えたい」に該当しない事柄を私の言葉で綴ろうと思う。

例えばインタビューでの一言から考察する人物像(本人には死んでも言えない。何故なら本人だからだ)。例えば答えの出ない疑問(果てのない殴り合いはなぜ生まれるのか)。例えばこの界隈の苦手な言葉について(名詞として使われる「推し」と「現場」という言葉が苦手だ)。例えば好きな所(恵まれた環境に居る事を理解し謙虚な姿勢を崩さない所。実は青臭いボキャブラリーを沢山隠し持って居る所。写真を撮る時のピース。反り過ぎる親指。笑った時アーチ状になる目)。

プレゼンもいつか書きたい。先述の、甚く感動した記事というのは、spiさん推しの方が書いた記事だった。いつか、このツールに慣れた頃にでも紹介したい。

私が抱いたあの気持ちを、誰かに抱いて貰えたら嬉しい。「この人はこんなにも素敵なんだ」と満ち満ち溢れるエネルギーが、応援している俳優さんの評価に繋がったなら、涙を流しながら踊る。

 

ただ、ひとつ自分語りをすると、わたしは「この言葉を受け取って、相手はどう思うだろうか」「手紙で私の名前を見る度眉を顰めてはいないだろうか」と、悪いことをした覚えもないのにうだうだと不安になる時が結構な頻度で、ある。相手をそういう性格と評価している訳では決してない。きっと、沢山届いているだろう手紙の送り主も覚えていないのが普通だし、それでも好意を向けている人からの評価は得てして気になるし、且つ元々のマイナス思考の影響もあり、兎に角怖いのだ。

 

これからの記事は、そんな人間が綴る言葉で構成される。

 

2年間は総評としてはあっという間だったが、ここが殺伐とした空気を纏う界隈だと理解するには十二分だった。山程、マイナスなワードを見かけた。ツイッターにいると否が応にも押し寄せる濁流に、疲れてしまった。

 

インターネットという広大な海は、私が何を書いても受け入れてくれる。だがそこで泳ぐ人が居る事を忘れたくない。砂に潜むガラスの欠片にはならない。なぜ今改めてこれを宣言するかと言うと、かつての私は確実にガラスの欠片だったからだ。その事について、いつか書くかもしれないし、書かないかもしれない。でももう二度とそうはならない。

 

一発目の記事だからこそ書こうと思った。鋭利なガラスの欠片も、海に揉まれるときれいなシーグラスになるんだぜ。なんて。

他人に対する高尚な語り掛けなど到底力不足で出来ないけれど、己に対してなら常に「お前はそれで良いのか?」と問いかけていたい。

そんな宣言代わりの投稿を初っ端に据えておく。